令和7年度 9月学位記授与式(卒業式)学長式辞

Date:2025.09.30

卒業生の皆さん、ご卒業、誠におめでとうございます。

本日、中央講堂において、学部卒業生63名の皆さんが、駒澤大学を巣立ちます。駒澤大学において、皆さんがこれまで積み重ねてこられた努力と研鑽に、深く敬意を表します。

また、今日という日を迎えるまで、皆さんを支え導いてくださったご家族やご関係の方々に、心からの感謝を申し上げます。ありがとうございました。

駒澤大学が仏教の教えと禅の精神を建学の理念としていることは、本学で学生生活を過ごされた皆さんは、すでによく理解されていることでしょう。ご卒業にあたり、今一度仏教の観点から、皆さんの学生生活の重要な意味をおさらいしてみましょう。

20250925gakucho村松 哲文 学長

駒澤大学は、釈尊の教えである「智慧」の探究と「慈悲」の実践に努めてまいりました。「智慧」とは、本当に大切なことを見分ける力、「慈悲」とはすべての生き物に対する慈しみの心です。「智慧」と「慈悲」の根底にあるのが、釈尊が悟られた「縁起」という考え方です。

さて、「縁起」とは何でしょうか。
皆さんが駒澤大学の学生として過ごし、今ここで卒業式を迎えていることこそ、「縁起」そのものということができます。

学生生活の間に築いた、かけがえのない友だちとの絆、学びを究めるために師事した先生方との尊い師弟関係、そのような結びつきを「縁」といいます。のみならず、皆さんは卒業後も、社会にはたくさんの駒澤大学の卒業生と出会うことでしょう。この「縁」を大切に紡いでいってください。

また、皆さんが駒澤大学に入学した時を思い出してください。それまで皆さんを支えてくださった家族や友達もまぎれもなく「縁」であります。1つ1つの縁がより合い太い絆となって今日の皆さんを作り上げています。「ものごとは必ず何かに依存して成り立っていて、単独ではない」、これが「縁起」という考え方です。この「縁起」を正しく理解することを「智慧」といいます。また「縁起」を正しく理解したならば、他者への慈しみの心が自ずから生じます。これが「慈悲」の心です。

皆さんは、卒業後もたくさんの出会いがあるでしょう。その1つ1つの「縁」を大切にして、さらに太い絆を紡いでいかれますよう、心よりお祈りいたします。

さて、釈尊の教えを学ぶ一方で、今、私たちはAIという新しい存在と共に生きる時代を迎えています。AIは膨大な知識を処理し、瞬時に答えを導き出します。大変便利なものが生み出されたものだと感心してしまいますが、それをふまえた上で、私の所感を述べさせていただきます。

私は仏教美術を専門分野として、かれこれ40年ほど学んでいます。40年にもなると、ほとんどの仏像と顔見知りになります。しばらくお寺を訪ねなくても、展覧会でお目にかかると、「懐かしいな」という感慨がこみあげてきたりもします。
その仏像の持つ特徴により、何時代に制作されたものなのか、仏師の名前や系統、あるいは如来なのか、菩薩なのかという、仏像の分類なども、皆さんに説明できるようになっています。

ところが今、仏像や寺院をスマートフォンで撮影し、AIに尋ねれば、私の説明を待たずして、正確な名称や制作年代を知ることができるようになっています。大変便利な時代になったと喜ぶ人もいるかもしれません。しかしながら、これは本当の意味で「知った」ことになるのでしょうか。

私はむしろ卒業生の皆さんに、「自分の中に知識を持ち、その中から真理を探し出し、事象を理解する喜び」を知ってほしいと切に願っております。
街で耳にする鳥のさえずり、花壇に咲いている花々、それらの持つ特徴について、スマートフォンを向けるのではなく、自分の知識の中から探り出すことができれば、皆さんは「自分の力を使うことの喜び」を知ることができるでしょう。

仏教の教えである「智慧」とは、答えを早く効率的に導き出すことではなく、自分で物事を知る力を指しています。そして、自分の力で見抜いた真実を自分以外の人と分かち合うこと、それが「慈悲」、つまり優しさなのではないでしょうか。

卒業生の皆さん、駒澤大学で培った「智慧」と「慈悲」、そして「縁起」を大切にして、今日からの新たな一歩を踏み出し、昨日よりも少しでも優しい社会を作り上げていってください。

ご卒業、心よりお祝い申し上げます。

令和7年9月20日
駒澤大学学長
村松哲文